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torii kiyomiさんの手紙「11年後のラブレター」を紹介します!

createココトモひろば事務局 さんの投稿
remove_red_eye122 chat_bubble_outline0 schedule2021年10月12日 14:00
「女性社長のココトモひろば」では、事業承継をされた女性経営者の方が、気持ちを文字にして整理したり、振り返ることで自分の心に寄り添い、労っていただくことができるのでは、と「手紙」を用いる手法に注目しています。
アドバイザーとしてご協力をいただいているtorii kiyomiさんに承継当時のことを振り返りながら、書いていただいた手紙を紹介します。

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私の夫は11年前にがんで逝去した。
がん告知から約2年半、母もがん闘病2年でなくなっているので、闘病期間は長くもなく、短くもなく逝ったのだと思う。
とても生命力のある人だったので私の心の中には「この人は病に負けないのではないか」との思いがあったような気がする。

2008年3月、春の暖かい日だったと思う。
いつものように夫と子供を会社や学校に送り出し、いつものように掃除洗濯を済ませた頃、夫が帰ってきた。

「ちょっと」
「何」
「胃がんが見つかった かなり悪い」
「え」
「誰にも言うな」

これだけ言って夫はまた出ていった。
何か気の利いた言葉を掛ければよかったのか、優しい言葉で慰めた方がよかったのか、あまりにも突然の状況に涙さえ出ない。
この短い会話で、夫と私を取り巻く日常は音を立てて崩れていった。

春桜が咲くころ、夫は入院した。
運がよく早く手術が決まった。
その手術の日の朝、夫から手帳の1ページを渡された。
そこには自分にもしものことが有ったら私が社長をするように、と書いてあった。
会社が当面支障をきたさないように配慮の遺書だった。
手でちぎった、たった1枚の紙きれが今思えば私の人生を決めた。

2年間入退院を繰り返し、何度かの手術を繰り返した。
その間、今で言うリモートワークをしていたので、入院したのを知っている人も限られていた。
私がしたのは週に1日ほど会社に行き、部長との会議に顔を出し、決算の書類に判を押したぐらいだった。
まさか自分が社長になるとは思わなかったし、思えなかった。

病気が判明してから2年半後の2010年9月、夫は他界した。
なぜか不思議なぐらいあっさりと私は社長になった。
それ以外の選択肢は今思えば無かった。
地方都市の中小企業、創業家が継ぐことが当然と思われたのかもしれないし、金融機関もそれを望んだと思う。
しかし私がとても幸運だったのは周りの従業員や同業者、家族、親戚が皆協力的だった。
これから歩む苦難に同情があったのかとも思う。
通夜、告別式、社葬は社長就任への決意表明だった。
経営がなんだかもわからない主婦が会社の運命を握ることになる。
眠れない夜が増えていく。

社長就任後は日々忙しく過ごし、夫のことを思い出すことが出来なかった。
意図して思い出さないようにしていたのかもしれない。
11年たって、私が会社に入ることが正解だったかどうかはわからない。
しかし信じてついてきてくれた従業員に、そして受け入れてくれた地域の為にもまだまだ先を見ていかなければならないと思う。

最近になってやっと夫の夢を見るようになった。
夫の生前、あまり言い返したことが無かったけど自分勝手な夫に1回だけ言ったことがある。

「あなたが死んだら何もかも捨ててどこか遠くへ行くことだってできるのよ」
と。そうしたら夫は
「それならそれでもいいさ」
と答えた。

私がそうしないことをわかっていて、ずるい。
承継して大変な時には夢にも出てこなかったのに、今更出てくるなんていまだにずるいよ。
ありがとう。

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torii kiyomiさんが手紙を書いてみた感想はこちら ― 「今まさに承継で頑張っておられる皆様に、少しでもエールを届けられたら。」

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ココトモひろば事務局一同
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